2001年、せっけんシャンプーの理容店として、
妻の手記が掲載されましたので紹介します。
「社会運動」掲載の記事
社会運動   月刊 社会運動 257号

 ■発行  市民セクター政策機構
       〒156-0044
       東京都世田谷区赤堤4-1-5
       電話 03-3325-7861
 ■発行日 2001年8月15日
 ■発行価格 500円
 
 ― 新しい試みに取り組む人々 ―
   「せっけんシャンプー床屋として」
   <掲載許可済み>
      ヘアーサロン みどり        <一部修正> 

■■ はじめに… ■■

 私は、ただの理容師で、主婦で母親です。難しい化学式や、専門用語は解かりません。
「社会運動!」と言われても、そのつもりでやって来たのではなく、「自分の思った事を、無理だと思わず、言ってみたり、やってみたらそうなった…」それだけです。ただ、人に伝えたい気持ちは、いっぱいあります。私は16年間、手荒れに苦しんで来ました。「私のように、何気なく合成洗剤を使い、気がつかない人がきっといる。これから子供を産む、若い女性やお母さん達に、せっけんの安全性を知って欲しい!」そう思って活動しています。 つまらない話かもしれませんが、体験した事をそのまま書きます。

■■ 理容師の職業病…傷だらけの手指 ■■

 高校卒業後、親の薦めるまま「理容師」をめざして理美容学校へ進学し、一年後、理容店に住み込みで働き始めました。手のかぶれが始まったのは、就職して2ヶ月目の頃でした。その時は「理・美容師の職業病」だと思っていました。十年以上働いている先輩も、やはり手がかぶれて、ガサガサに荒れていました。
 私の症状は、指の間の柔らかいところに痒みを伴う水疱ができ、しばらくすると膿が出ました。それが、指の腹や手のひらやにもできるようになり、新陳代謝によって水疱がつぶれ、小さな穴があきました。また、皮膚も薄くなり、お客さんの髭が刺さるので、髭剃りが大変になりました。シャンプーによって、皮脂を取られてしまうためか、手のひらがガサガサで、クリームをつけて手袋をして寝ても、何も改善されませんでした。そのうち、今度はひび割れが起きました。指の関節部分や、手のひら側の関節と関節の間が、縦に「ピキッ!」と割れるのです。物を持とうと指を曲げると、音を立てて割れました。
 当時の勤め先である理容店の2軒隣りは、幸いにも皮膚科で、そこに通ってステロイド剤をもらっていました。言われる事は決まって「これは、理容師を辞めなければ治らない。職業病だからね。」でした。『じゃあ、一生皮膚科から離れられないの?!』と思ったものです。 ついに、親も見るに見兼ねて「床屋は辞めなさい。」「別の仕事を探したら?」と言うほどでした。でも、他にできる仕事もなかったので、そのまま理容師を続けるしかありませんでした。

■■ 結婚と開業 洗剤に触れない生活…のはずが… ■■

 '88年に、5年半勤めたお店を辞めて、結婚と同時に自分の店を持ちました。
お客さんのシャンプーや、台所の食器洗い、洗濯も夫に任せて、私はなるべく水に触らないようにしていました。「パーマ液も良くないだろう。」と、パーマ技術もやめました。しかし、手荒れは全然治りませんでした。相変わらず皮膚科から離れられず、大きな病院にも行ってみました。でも、「あぁ、床屋さんね。この間の薬でイイ?」と聞かれて、ステロイド剤が出されるだけでした。どこの病院に行っても、同じ事を言われるので、「ステロイド剤だけもらえれば、どんな医者でもイイや!」と思い、近くの個人医院に替えました。 
 薬をつけて手袋をして寝ると、ひどい時には膿が固まり、朝には手袋が外せなくなる事も度々ありました。手が割れて血が出るので、「水ばんそうこう」を店と台所と車の中に一つずつ用意していました。掃除や洗濯はもちろん、料理をするのにもビニール手袋が必要でした。人参やジャガイモの皮をむくのも、魚や肉を切るのも全てです。
 素手で触るのは、お客さんの頭と顔、後は自分がお風呂に入る時だけでした。でも、これが手荒れの原因だと気がついたのは、ずいぶん後の事です。
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かぶれた手かぶれた手 無残な当時の手はこんなんでした。
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